![]() ↑ギョウジャニンニク/6月23日/妙高にて。高さ15センチほど。周囲にある筆状の茎はユキザサ。 最奥のV字の谷に踏み込んだ。 一昨年にはじめて踏破した谷であるが、これまでに谷底を覗いたことが一度もなかった。たっぷりの残雪で埋まっていたからであった。とくに昨年は大豪雪だったので、去年7月8日のとき(第194号)でもまだ雪面は3〜4メートルは上にあったのである。一部は秋まで残って根雪になるのではと思いやったたものだったが、どうだったのか。 今冬は記録的少雪のために一部露出した谷底の様子を知ることができた(知ってなにがどうなる、というわけでもないが)。 夜明けのころの早朝は曇り空だったが朝になるとみるみる快晴にかわっていった。前回とおなじく6月の空には思えないような高く澄んだ乾いた蒼空が気持を浮き立たせてくれた。 “V字の谷”と書いたけれども、去年まではVの上下の真ん中へんを歩いていたわけで、左右がもっと広くて上部にいくほどゆるく広がった部分もあったりしたから、それほど“狭い谷”という意識はもたないでいた。 そこのところが今回の踏破で文字通りの“V字の谷”ということがはっきりした。 去年までは雪の下で見ることができなかった斜面がさんさんと陽光を浴びていた(上の写真がそう)。空気の澄んだ高山の強力な光線の束であった。光の粒々がはじけ飛んでいるような気がした。 衣服を通してするどく熱を通してくるが気温がひくいので日陰が欲しいとも感じないでいられたが、谷のなかではその日陰というものもない。潅木はやっと残雪の重圧から開放されたばかりで、まだ枯木のように斜面にへばりついているだけだった。 谷底ちかくはまだ緑もない早春の枯野で中間地帯は若草の芽が伸びてきている春そのもので上部は緑ゆたかな初夏といったおもむきを見せている。 シラネアオイは散りおわりサンカヨウとエンレイソウが咲いていた。カタクリがただのひとつもなかった。去年までは雪面が下がっていくのにともなって順次にカタクリが出現したものだったのに、今年はどうしたものかカタクリのカの字も見つからない。 ギョウジャニンニクやタケノコの伸びもいつもと狂っているように感じた。あるべきところにないのであった。この春は雪融けと草木の芽立ちのリズムがうまく相関していかない、てんでばらばらの不協和音のような気がした。 この冬は少雪だったが3月にはかなり寒い春になった。5月下旬から山登りを重ねているが、これまでのように暑苦しいとか汗まみれといったことがない。残雪がいつもよりずっと少ないのにである。好天だと日差しが暑くて迷惑だったこともあったのだが。 するどく刻まれた谷間を登っていると豪雨のときにはどんな濁流激流が暴れ下るのか見てみたいものだなどと考えたりした。 そんな激流が、年間で仮に谷底を1センチだけ削ったとして、百年で1メートル、千年で10メートル、万年で100メートルということになる。時間というものの果てしのない重みのすごさを思いやった。人間の一生のなんとはかないことか、などとも考えた。 とはいえ本能というか煩悩というか、そんな生物として背負っている宿命のようなものに引きづられて、あくせくあくせくと谷を登るわしらであった。 昼ころからは北の方角から厚い雲がひろがってきた。降るかなと心配もしたが灰色の雲はそれなりに落着いて妙高山よりもっと高い空に停滞していた。前回のような終日好天とはならなかった。 |