![]() ↑ハクサンコザクラ(ほぼ実物大)/7月7日/天狗の庭付近にて。イワイチョウの緑のなかでやや色あせていた。間もなく散りそうだ。同じ色をしたコイワカガミの花も見える。 7月7日。「天狗の庭」まで行くことに。火打山(2462m)のふところに広がる湿原で標高2000m。湿原特有の緑のじゅうたんのなかに小さな池塘が点在して、その背景には火打山が形よくひかえているという景勝地である。 そんな湿原のなかに桜色したハクサンコザクラが咲くのがまさに「高原の桃源郷」といったおもむきで素晴らしい。このあと8月はワタスゲが風にそよぎ9月下旬からは一帯の草木の紅葉がはじまる。 一昨年は2週つづけて登ったがハクサンコザクラは不作であった。昨年は一昨年の空振りにこりたためか念頭にも浮かばなかったが今年はカメラ機材すべて(20キロ)を担いで行くぞといった意気込みがわいていた。体力もかなり衰えてきているのに、なぜか自分でもわからない不可解な衝動であった。 「天狗の庭」の近くには「高谷池ヒュッテ」がありネットのHPを覗くとそのあたりの植物や残雪の情報が得られるのだが更新が週1か2週に1くらいなので今現在の様子がわからない。運は天にまかせて行ってみるしかないと腹をきめていたのだが、出掛けに際していい情報が飛び込んできたものだ。配達されたばかりの新聞記事であった。 いつも早朝にわが工場から出発するのだが直前に相棒からすこし遅れると電話があったので、紙とインクの匂いが真新しい新聞を開いて待っていた。そのなかに偶然にも高谷池と天狗の庭のハクサンコザクラが今年は豊作であるという記事が載っていたものだ。こりゃあ幸先がいいわいとうれしくなった。あとは天気次第だなと雨降りにならないことを祈った。予報は晴れのち曇りだったが高原の天気は気まぐれだからどうなるかわからない。 笹ヶ峰にある登山道入り口(標高1300m)から登りはじめる。 ブナ・ミズナラの林内でゆったりした登りのなかに木道が整備されている。ウスヒラタケとツエタケが目についた。どんな不作の年でも必ずある力強いきのこである。それでも今年も昨年と同じような低温傾向にあるようで2年続きの不作になるのかなと気がもめている。 1時間たらずで黒沢に達した。緑のなかの渓流でペットボトルに飲み水を補給した。数秒とは手を入れていられない冷たい清流だった。1リットル入りのボトルに溜めるのに左右の手を交互に使わないと辛いほどだった。 ひと休みしたあとは木の根や大石ごろごろのはげしくて辛い登りが続く 「十二曲がり」になる。 ここらからはブナ・ミズナラにかわってオオシラビソの林になる。けっこう高いところまで来たなという実感がわいてくる。さまざまな野鳥の鳴声がひっきりなしに聞こえるが、わかるのはウグイスだけだ。そのウグイスだがずっとホーホケッケッチョといった感じでどもっているのが可笑しかった。オオシラビソの古い倒木にはクヌギタケが並んでいた。 途中から 「ゆっくり行こうさ」 と相棒がめずらしいことを口走った。 いつもなら私のセリフのはずが言われてしまったからなにかヘンな感じがした。これまでに彼の口から聞いたのははじめてじゃないかなと思った。 彼はビデオカメラと三脚を携行しているがそう重いものではない。たとえ重くてもそんな言葉を口走るような男でもない。余程でなければ私の方の荷重を思いやって気遣いをするような男でもない。彼はカモシカかサルのようにどんどん先を行き、私はナマケモノかヒキガエルかといったような按配でのらりくらりとついていくスタイルが常である。 それまでは気付かなかったが相棒の体調は相当によくないようだなと察した。 それでも、ここからが彼のスゴイところで、どんなに体調がわるくてもいいモノがあれば荷担ぎを躊躇しないことで、もちろんそれでへばるなんてないし、私が彼のことを 「欲張り爺さん」 と揶揄し 「家であけるとヘビだのバケモンだのが飛び出すぞ」 とからかう所以である。 目の前で突然に灰褐色の毛のかたまりが右から左に走り抜けた。子ウサギだったようだ。 そのころから彼はペースをとり戻していった。ウサギのようにとっとと先に行ってしまい、こっちは荷重がひどいものだから一段とのろのろ脚になってカメのように地を這って登ることになった。 「富士見平」でビデオなど回しながらウサギは待っていた。居眠りはしていなかった。 これから先は木の根や大石に変わりはないものの、わりと平坦なコースになるのですこしほっとする。妙高山登山道との分岐点でひと休みした。それまでは晴れ間もあった空がいちめんにうすい雲におおわれてきた。 ここからはオオシラビソもまばらになって低木だけになり背の低い笹が目立つようになる。道端には小さなラッパ型の黄色い花がちらほらし道脇にはキイチゴ類の濃紫色の花が開きはじめていた。ナナカマドの白い花がさかりだった。 高谷池ヒュッテまでもう一息といった地点まで来た。ミネザクラが咲いている。一昨年も、ああ今頃・・・と感心したことを思い出した。こころなしか花の色がうすいと感じたのは標高が高すぎるせいだろうか。6月に雪がとけて9月には紅葉がはじまるから成長期間はわずかに3ヶ月ということになる。 間もなく高谷池ヒュッテに到着した。庭のベンチには登山者がまばらに座っていた。登山ブームは去ったらしく登山道で行き交う人数もかなり減ってきている。 ヒュッテ前の高谷池にハクサンコザクラの群落が見えた。ざっと見て一昨年の2.3倍はありそうだ。なるほど、新聞記事に誇張はなかったなとうれしくなった。小さく咲きはじめたミズバショウを背景にして若い女性のグループが記念撮影をしている。 高谷池のへりをまわり低い丘陵をのぼり下りると目的の「天狗の庭」である。 丘陵の上にもまだ雪融け水が流れていて湿地状になっている。そこにもハクサンコザクラが咲き乱れていた。ハクサンチドリ・イワイチョウ・コイワカガミ・コバイケイソウなどが湿地にいろどりをそえていた。 天狗の庭まで下りると、あるある。ハクサンコザクラが豊作満開のようだ。もっと昔は湿原いちめんに桜色が敷き詰められたという話をきいたことがあるが、そんな昔の桃源郷のような風景を想像してみた。それには遠く及ばないが一昨年よりもずっと花の数が多い。惜しむらくは木道近くに花がすくないことだ。湿原のずっと奥には大群落が帯になって広がる様子が見えるのだが。 そして、その向こうにあるはずの火打山の雄姿が霧だか雲だかですっかり隠れているのが惜しい。でもまあ、仕方がない、とりあえず撮っておくしかないかと思いなおして5.6枚シャッターを切った。 せっかくの今日はこんなもんかなと残念な気持でたたずんでいると白い雲がゆっくりと動きだしていることに気がついた。下の方からだんだんと雄姿があらわれてくるではないか。おおっと見守るうちに、ついにすっかりと白雲は上がりきり全容が姿をあらわした。 それでもまだいくぶん湿気を含んだ空気で透明感が足りないようだ。青い空が一部でもあればいろどりとしては申し分がないのだが――などと相棒と言い合ったが、まあ、それはそれで仕方がない。しっかりとシャッターを押し続けた(表紙の写真で今号のみ)。 そこそこに満足して帰路についた。そのころからまた雲は厚くなり薄い霧もさしてきた。雨こそ降らなかったが下山するまでずっと重い雲に覆われていた。あれでもあのときはなんとも幸運な一瞬だったのだなと思った。 |