![]() ↑トウヒの森のタマゴタケ/一昨年の8月17日/妙高にて。 7月うちは冷夏だったために夏のきのこは不作になった。8月19日の妙高は野山がカラカラとしていてきのこの姿がまれ。去年も同様だったために夏の写真があまりない。そこで一昨年のストックまでを引っぱり出して掲載するハメになった。 ふりかえってみると去年も199号でストックを用いていた。やはり去年も冷夏で苦労していたのだなあと思いだした。今年は冷夏のせいもあるが地震災害のために心身ともになんとなく調子が狂ったせいもあるようだ。19日は野山を歩いていてもどこか気合が入らなくていい加減なトボトボ歩きの感じがから脱却できないでいた。 しかしちょうど8月1日になると猛暑の夏がやってきたから9月も半ばになればきのこは豊作になるだろうと都合のいい期待をしている。そうなれば身体もしぜんに動いていくだろう。 7月うちが冷夏だったことは地震後の生活にとってはさいわいだった。いち日だけ29℃まで上がった日があったがそれ以外はTシャツ1枚でいて暑くも寒くもない適温(25℃くらい)の日々だった。 しかし8月に入ったとたんに猛暑襲来でいち日でも風呂は欠かすことができなくなった。「食事」は簡素で粗末ではあるがすぐに手に入りすぐに済ませることもできるが、「風呂」についてはその作業?に時間がかかるうえに、毎日「今日はどうする?(行水、自衛隊風呂、市外の温泉施設の選択)」という煩わしさがあった。なにが一番負担で不自由だったかといえば意外にも「食事」ではなくて「風呂と洗濯」問題だった。 そんなさまざまなことが生活のリズムを乱して、とくにどこがとも言えないような微妙な心身の変調があったようで、平静でいるつもりでもやはりなんとはなしにフツフツと苦いものがこみ上げてくるような気分が今でも残っている感じがする。 家が全壊や半壊したひとたちにとっては、そんな思いはおおいに強烈なものがあるだろうと察するばかりである。 前回の地震のはなしで書き漏らしたことがあったのでそれを列記すると @不備だった物 ・誰しもが3年前の地震で「もう大地震は来ない」と思っていたので何の用心も備えもしていなかった。 わが家の場合は懐中電灯の電池さえ消耗していた。手回し充電式携帯ラジオがあったが、どこに しまったかと探すのに時間がかかった。これで夜間の地震だったら恐ろしいと思った。 ・とりあえず水用のポリタンクが必要だった。 ・給水車から家まで運ぶのに重くて苦労したひとが多かった。 ・そのために台車・乳母車・ショッピングカートのような運搬具があればよかった。 ・支援が早くて問題なかったが、最低3日くらいの食料と水の備蓄はしておきべきだと思った。 ・今回は夏期の災害時の問題点が浮き彫りになった。地方都市だから自衛隊の活動が隅々まで行き 届いたが、これが人口密集地だったらどうなるのかと思った。 1.トイレの水の確保は困難かも。流せないトイレをどうするか。夏は匂いがきつい。方々に簡易トイレ が設置されたが、かさ張るために搬入に時間がかかるし、水洗になれた者にとってはなかなかに 不快である。 2.風呂と洗濯が深刻な問題になるのでは。 A食料や物資の配給について ・コミセンや学校などが配給所になったので随所にあって不自由しなかった。 ・もらいに来たひとの分だけ何が何個という決まりがあったりして、高齢だったり所用だったりで来られ ない家族の分がもらえない、あるいはもらいずらかったり、の問題があった。 ・初期のころは物資が足らず避難所にいるひとが優先といった決まりもあったらしく、それも問題になっ たらしい。 ・そういった管理をする担当者が、ひとによっては監視するような雰囲気があって(まあ、それも仕方ない のかも)それがどうも屈辱を感じるようなイヤな感じがした。 A被災範囲 ・震源地が沖合だったために被災地が一方向に限られた。これが内陸部だったら3年前と同様に四方に 被害が広がったのでは。 ・電話が意外に通じた。3年前よりも。被害範囲が狭かったために通話がそれほど輻輳しなかったのであ ろうか。 ・そのために安否の確認が早くできた。方面によっては電話が通じないこともあったようだ。 B原発のこと ・原発の震災が問題になっているが、地元の「空気」としてはこれまでに「大事故もなかった」し「安定的 に電力を供給してきた」し「チェルノブイリ化せずに停止」できたのだからいいではないかという見方が ある。 ・それでも、年単位で稼動休止という事態に陥った点では想定と対応が問題だとみられている。 ・東電からの税収・施設・電気料・仕事などで直接間接に多くの市民が恩恵を受けている。 ・原発に対しての地元の市民感情は多くが以上のようだと思う。少なくとも私の周囲のひとたちの考えで はそうである。 ・突出した意見もありそれも大事だと思うが、それが大きく取り上げられ、以上のような意見が表に出ない ようである。さまざまな意見が提示され検討されることが大切だと思う。 C情報 ・行政防災無線の拡声器が各所にあり受信機は全戸にあるが県内では当市と刈羽村だけらしい。 原発があるので設置する決まりでもあるのだろうか。即時に全域に広報ができる威力を発揮した。 ・地域放送「FMピッカラ」が発信する交通・避難所・病院・炊出し・給水・風呂などの情報が頼りになった。 D地震保険 ・ある知人は地震保険に加入していた。「家屋」は無事だったので保険の対象にならなかったが「家財」 であるテレビや本棚やが転倒したので対象になった。それらは転倒したものの無キズであった。しかし 鑑定人がきて査定した結果250万円の保険金がおりた。知人はさて何買おうかななんて喜んでいた。 火災保険を使う機会が過去にあってその査定が厳格で難しいことが分かっていたので、地震保険の 簡素さに驚いた。加入する価値があるなと思った。 Eその他 ・自衛隊派遣の機動力(艦船、大型ヘリ、車両の大量投入)の早さとすごさに感嘆した。 ・電気の復旧は早かったので「オール電化」の家では風呂・洗濯・炊事等の支障は短期間で済んだ。 ・火事が1件もなかったのが奇跡的。時間帯の幸運だったようだ。 ・一週間ほどは自衛隊の大型ヘリ、報道のヘリ・軽飛行機の爆音がうるさかった。 ・食器戸棚が倒れた家が多かったなかでわが家のそれが倒れなかったがずっと偶然だと思っていた。 それが最近になって、てっぺん後部をL金具で壁と固定してあったのを発見したという間ヌケぶり――。 正面からは陰になって見えないからだった。10年ほど前に食器戸棚を買ったときに止め具が付属品で ついてきて、それを取り付けたことを思い出した。阪神淡路震災のあとだったので付属品が付けられて いたのだろうし、取り付ける気にもなったのだろう。ヨカッタヨカッタ――。 ・ちょうど本日(8月24日)少しづつ閉じていた自衛隊の架設風呂がすべて終了したという行政防災無線 の放送があった。復興が進んでよかったわけだが、なんとはなしに寂しくホロッとした気持になった。 これまで引き上げていく自衛隊へ感謝して見送るささやかな行事があちこちであった。 なかには泣き崩れる市民もいたそうだ。 これからいよいよきのこ本番の時季になるが、地震災害が9月から12月の間でなくてホントヨカッタナとつくづく思った。もし、その最盛期だったら、いったいどんな気持で災害後の日々を送り暮らしているだろうかなんて想像したりした。 案外に気持がすっかりとんでしまって平気なのかどうか、それともきのこに傾く気持は変わらないのかどうか・・・。 |