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{今回は写真はありません)
未だにフィルムカメラに拘っているので(というよりもデジカメを買うお金がないために)常用の36枚撮りで半分は使わないともったいなくて現像に出すのに躊躇してしまう。いつもの活動のうちには当然そんなことが何度かあるわけで、それでもがかまわず取り出していたのだが、今回というか今年はどうもそんな元気がでない、何故か。
というわけで、こうなりました。 5月18日。 柏崎から国道8号線を南下していくと右手には日本海がある。大気がよく澄んでいる日には佐渡島が浮かんでいるのが見える。国道と海岸の間にはJR信越線がはしっていて線路ぎわにはよくカメラマンがたむろしている地点がある。海景色を背景にした鉄道列車風景が撮れる、その世界ではきっと名所なのであろう。写真といっても、いろいろと分野がちがうのもだなと考えさせられるひとこまである。 やがて左折して頸城平野にはいる。 田んぼや集落の家なみのはるか向こうに妙高山の雄大な山なみが見える。まだまだたっぷりと雪をかぶっていて、木々の緑がずいぶんと濃くなってきた平野部とのあまりのズレに戸惑うような気分をあじわうことになる。毎年のことだけれどこれが新鮮だ。 もう田植えのすんだ田んぼから次第にまだシロカキしている田んぼにかわっていく。いっけん、どこまでも平らで同じように見えるけれど、やはり内陸部にいくにしたがって季節はすこしづつ遅れているのだなとわかる。 沿岸部にある柿崎町からはじまって吉川町・浦川原村・三和村・清里村・板倉町と、わずか30キロほどの間に、どこが境界なのかさっぱりわからない同じような地形で町村がつらなっていた。今は上越市としてこれらを含めた13市町村がそっくり大合併した。日本一の多数大合併なのだそうだ。 この先が妙高市となる。 かつては新井市を経て妙高村・妙高高原町と通過していったわけだが今では妙高市ひとつになった。 規模の大きな方の市が自らの名を捨てて小さい方の名を選んで妙高市となった。合併で唯一のケースだそうだ。ちなみに柏崎市では高柳町と西山町を含めて合併したが、単純いえばそれが高柳市とか西山市とかなるようなもので、常識ではちょっとありえない事態だ。「妙高山」という存在が絶対的な象徴として、いかに地域のひとたちの心のなかにしっかりと刻まれているかをうかがい知ることができる。 そんな日本一と唯一というふたつのレアケース連続地帯を走りぬけて妙高山に至る。快晴であった。 緑濃い柏崎からくると 「うそだろ―!」 と言いたくなるような残雪たっぷりの雪景色。季節が2ヶ月は後戻りしたような世界。それでもカラマツとシロヤナギのあざやかな新緑がもう春だぞと控えめに言っている。よく見るとブナやシラカバの葉が遠慮ぶかそうに小っちゃく広がりはじめていてミズナラの芽はまだくりくりと固まったまま。 車で行けるところまで行く。 それからは残雪の上を歩く。目的の谷間の途中まで近道しようという話になった。車ならそのまま行ってどんじりで降りて直角方向に歩いていくのだが、その三角形の2辺でなく残り1辺を歩く近道だ。以前から車が通れない場合としてそんなコースを想定していたのでその初回ということになる。 おおよその見当をつけてその方角に進む。残雪から突き出たコシアブラの若木の先端に新芽の緑がのぞきはじめている。それがちょっと黒ずんでいるのがある。どうやらシモヤケのようだ。やはり高山だなと思った。平野部の里山ではありえない現象であった。ヒトの目には楽しく美しい残雪風景だが木々たちにとってはかなり厳しいものがあるのだ。 「おい、川だぞ!」 相棒がとつぜん叫んだ。 目のまえに山と峰と谷川があらわれた。いっしゅん、目指す地点近くかなと思ったが谷川の広さといい深さといいどうもスケールが小さい。へんだ――。いっしゅんするどく混乱した。――それでもあの谷川の下流ならこんな場所もあったのだろうか。いやそうではない。やはり谷の向こうの山肌も様子がちがうぞ。じゃあいったいここはどこなんだ! わしらはいったいどのへんにいるんだ! 思ったよりも左方向に来たと判断して上流方向に向かうことを私は主張した。相棒はまったく別の谷川であるとして、それは想定よりも右方向に来たからだとして下流方向が正しいのだと言う。見解は右と左に分かれた。あらためて向かいの峰のもっと上を見上げると山の頂上がある。近すぎてすぐには判断できなかったが遠目によく見ていたあの山の頂上のようだと分かってきた。 ということは相棒のいうように右に寄りすぎたということだ。まあ、こんなケースもめずらしいが、もっとスケールの小さな迷走ならたまにはあった。そんな時にはほとんど相棒のカンがするどく正しかった。まったく、山育ちのサルカモシカ男だ。 こうして下流方向に歩いていくと、こんどはいつもの山の頂上が見えてきた。ああ、あれだあれだと少しほっとした。 考えてみるとほとんど90度の角度で方向をまちがえたことになる。三角形の1辺を行ったつもりが、逆向きの三角形の2辺をつくったことになる。少なくても1時間はロスしたのではないかな。 後日、このことを佐藤さん(元エスペロさん)に電話したら、なんと彼本人もかつてそこで同じような迷走をしていたことがわかった。そのことを私が相棒に電話してふたりで大笑いした。やはり誰でも同じ作戦を考え実行し挙句に敗走するという「謎の山域」であったらしい。わしらもモロにひっかかったのだ。 こんどは正規のルートにのってさらに進んでいく。 いよいよ難所にさしかかった。この先は川あり谷あり急斜面ありのアップダウンの激しいルートになる。最終目的地である峰がその向こうはるかに見える。残雪がすべり落ちた茶色か緑の急斜面とまだ白い斜面とがタテ縞模様をなしている。まだ藪が立ち上がっていないようで歩きやすそうだが、そのぶんモロに滑り台状態の急斜面になっているからかなり危険がありそうだ。 これからいよいよ難所本番へ、なのだがどうも自分の体がへんだった。白旗をだした。 「おれ、もう、ダメだぁ・・・バテたぁ」 「なにぃ? ほんとにかぁ?」 「うん・・・。ここで待ってるから、ひとりで行ってくれ――」 残雪の上を長時間あるいてきた私の脚はその時点でくたくたになっていた。ひと足ごとにずずっと少し沈む残雪は砂場をあるくようでへんに疲れる。いつもはペースのはやい相棒からかなり遅れてだらだらとついていくのがマイペースなのに、なんだかこの日は体調がよくてほぼいっしょのペースでついてきた。それがオーバーペースだったようで、ここにきて急速突然に効いてきた。 「おい、敵前逃亡だぞ」 するどく相棒がなじる。 「はっはっは、そうだの。敵前逃亡は死刑だの」 力なく笑うしかなかった。 ここで待つよりしかたがない。ぐったりよろよろの体で相棒を見送った。 スキー場のような雪の急斜面を相棒は何事もないように下りていくと谷川にかかる残雪のブリッジを素早くわたり向かいの斜面にとりついていく。はじめてこの斜面に立ったときには恐怖で足がすくんだが今ではすこしは慣れてきた。それでもあんなふうには歩けないなとあきれつつ思う。サルカモシカ男はやがて見えなくなった。 ここまでの間にエノキタケひとつ見つからなかった。あと2.3週間後であろうか。撮るべききのこひとつない。あらためて雪野原を探し歩く元気も出ない。気がついたら今すわっているガケのふちが少し露出している。しばし体をやすめたあとでそこらを探しまわるとカタクリの花がぽつりぽつりと咲いていた。ヒマつぶしにそんな光景を撮りながら待つことにした。 |