アジアの至宝 アンコール遺跡紀行

 平成13年2月中旬、同期生の仲間とカンボジア及びベトナムへ旅行をしました。カンボジアは、首都プノンペンシェムリアップ周辺のアンコール遺跡ベトナムは、南部の大都市ホーチミンです。
 ここでは、その圧倒的な豪壮さと華麗さに胸を打たれ、今なお感動覚めやらぬアジアの至宝・アンコール遺跡に焦点をしぼって紹介したいと思います。
旅行日; ’01.2.15〜2.20


アンコールトム  Angkor Thom

アンコールトムは、12〜13世紀初頭、クメール王国の最盛期の王・ジャヤヴァルマン7世
によって建てられた城塞都市です。「トム」とは、大きいという意味で、幅113mの堀と
高さ8m、1辺3kmの城壁に囲まれ、5つの城門が外部と通じています。
城内の遺跡の中心は、仏教寺院・バイヨン。ここには、
観世音菩薩が彫られた50基ほどの巨大な岩石の塔が林立しています。
城内には、更にバイヨンを取り囲むようにバプーオン王宮象のテラスライ王のテラス
などが残っています。その一つ一つに、栄華を極めたアンコール王朝の往事が偲ばれます。

【南大門 The South Gate】
 城門の一つ、南大門です。巨大な四面仏が門の上に彫られています。
 参道の両側には、ナーガを引き合う神々と阿修羅の像が54体ずつ並んでいます。この様相は、アンコールワットの第1回廊にある、ヒンドゥー教の天地創造の神話乳海撹拌をテーマにしたものです。
 アンコールワットの方向から向かう場合は、この南大門から入ることになり、くぐるとバイヨンが現れます。


【バイヨン Bayon】
 アンコールトムの中核をなす仏教寺院・バイヨンです。
 神々が住む神仏降臨の聖地とされるメール山(須弥山)を模したもので、世界の中心という意味を込めて建造されたものだといいます。
 東西160m、南北140mの第1回廊には、当時のクメール人の生活の様子が見事なレリーフに彫られています。トンレサップ湖で魚を捕る漁師や食事を作る人や運ぶ人など、遠い昔の庶民の生活を垣間見ることができます。
 また、東西80m、南北70mのここ第2回廊には、女神デヴァターや僧侶などをテーマにしたレリーフが数多く残されています。なかでも、デヴァター像の豊かな表情とふくよかな肢体が印象的でした。

【バイヨンの微笑 Smilling of Bayon】
 寺院内には、高さ42mの中央本殿を取り囲むように尖塔が林立し、それらの頂部の四面には、優しくほほ笑む観世音菩薩の巨大な顔が刻まれています。
 その慈悲深いほほ笑みは、“バイヨンの微笑”といわれているとのこと。どの仏塔も、仏面は正確に東西南北を向いていますが、それは、菩薩の慈悲の力が世界に隈なく及ぶようにという、大乗仏教の考え方によるものだということです。
 世界中の人々に慈悲が届くようにと、口元に微かな笑みを浮かべて静かに佇む四面仏、その700年前と変わらない微笑に、深い感動を覚えました。

【象のテラス Elephant Terrace】
 バイヨンの北約500mの位置に王宮跡があります。王宮の大部分は木造建築であったため、シャム軍との戦闘ですっかり消滅してしまったそうですが、王宮広場には、「ライ王のテラス」「象のテラス」などが残っています。
 ライ王のテラスは、三島由紀夫の戯曲でお馴染みですが、これは、象のテラスです。広場に面した長さ300mほどのテラスで、東向きに建設されており、ここから勝利の門へ道路が真っ直ぐ延びています。
 当時、テラスは王の閲兵に用いられたもので、高さ3.5〜4mの壁面には象や神鳥ガルータの彫刻があります。



アンコールワット  Angkor Vat

アンコールワットは、12世紀前半、スーリヤヴァルマン2世によって
30年余りの年月を費やして建造されたもので、クメール建築の最高傑作です。
アンコールとは王都、ワットとは寺院のこと、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神寺院として、
また、王の墳墓として造られたものだといいます。
近代、建築学的見地に加え、芸術的価値も高く世界に知られるようになりまたが、風土や
材質による自然損傷とともに、内戦などによる破壊、略奪により重大な危機に見舞われました。
現在、国内の正常化が図られると同時に、修復、保全作業が始まり、まだ途中ながらも、
アンコールワットは、800年の時を超えて、その全貌を蘇らせつつあります。

【アンコールワット全景 Whole View of Angkor Vat】
 境内の聖池越しに映えるアンコールワットの全景です。西参道の正面からは5つある尖塔が3つしか見えませんが、石畳を左手に降りて聖池越しに見ると5つ全てが見え、アンコールワットの全景が美しく広がります。
 中心に向かって第1回廊第2回廊とだんだん高くなる3重の回廊があり、中央には世界の中心であるメール山(須弥山)を模した中央堂塔があります。
 折しも夕焼けに染まり始めた、荘厳で華麗なその佇まいに、しばし、時の経つのも忘れて感動に酔いしれていました。


【西参道から View of West Approach】
 アンコールワットを囲む、周囲5.6km(東西1.5km、南北1.3km)の外堀から続く長い西参道(表参道)です。
 クメール建築では、東西を機軸に建物が建てられ、通常は東が正面となっているそうですが、アンコールワットの正面は、珍しく西となっています。背後から日が昇る、夜明けの神々しいまでのアンコールワットが見られるのも、それ故です。
 外堀から続く西参道は、西塔門をくぐって更に真っ直ぐ延びていて、540mの石畳のその先が第一回廊へとつながっています。
 西塔門の向こうに、中央堂塔の先端が僅かに覗いています。その豪壮な眺めに、いよいよ中世カンボジアの世界かと胸が躍りました。

【第1回廊のレリーフ Bas-Relief of First Gallery】
   アンコールワットは、盛土された土台石の上に回廊が3重に巡らされています。最初にたどり着く、高さ5m、東西200m、南北180mの第1回廊には、精緻なレリーフが美しく描かれています。
 これは、西面の南側にあるマハーバーラタの一部分です。古代インドの叙事詩で、王位を巡る戦闘の物語が描かれています。激しく戦う兵士、馬や車、武器などが細密に丹念に描かれています。
 更に進むと、南面には天国と地獄、東面には乳海撹拌、西面の北側にはラーマーヤナと、見事なレリーフが続きます。第1回廊は、正にレリーフの宝庫です。時間を掛けてじっくり鑑賞したいものです。

【第2回廊のデヴァター Devatas of Second Gallery】
 西参道塔門を入ったところの内壁、十字回廊の壁などのあちらこちらで、華麗に着飾り、優美に笑みをたたえた女神(デヴァター)たちのレリーフに出会います。
 これは、第2回廊で出会ったデヴァターです。
 それぞれ微妙に異なった衣装、宝飾品を身に着け、髪型もそれぞれがゴージャスで、その個性的な装いには驚かされました。実在の宮廷女官たちをモデルにしたものであるとか。それぞれが華麗でふくよかで、その美しさに魅了されました。



周辺の遺跡群  Angkor Monuments

アンコール遺跡は、アンコールワットとアンコールトムだけではありません。
周辺には、時代や地域により異なった様式の遺跡が数多く残っています。それらを見て回るには、
小回り大回りの2つのコースがあります。小回りは、アンコールトムの勝利の門から時計回りする
コースですが、その中から、タ・ケウタ・プロムを。大回りは、北大門から大きく回るコースですが、
その中から、プリア・カーン東メボンを紹介します。更に足を伸ばすと、アンコールワットの
北東約40kmの所にバンテアイ・スレイがあります。そこでは、
あの噂の「東洋のモナリザ」が見られます。

【タ・ケウ Ta Keo】
 1000年頃、ジャヤヴァルマン5世によって建てられたもの。
 アンコールワットの前駆といわれる5層の山岳形式寺院で、最上層の基壇の上には5つの堂塔が立っています。しかし、神像一つなく、大殿堂には何の浮彫もなく、全体が未完成で終わっているため、本尊は何であったかは不明とのことです。
【タ・プロム Ta Prohm】
 1186年、ジャヤヴァルマン7世が母の菩提を弔うために建立したもの。当時は仏教寺院だったが、後にヒンドゥー寺院に変わり、梵天の古老を意味するという。
 境内では、巨大な陽樹(ガジュマル)がまるで大蛇のように、崩壊しつつある建物にのしかかり、太い根を張っていて、その異様さにびっくり仰天しました。

     



【プリア・カーン Preah Khan】
 1191年、ジャヤヴァルマン7世がチャンパ軍との戦勝を祈念し、父親の菩提寺として建てた仏教寺院。
 プリア・カーンとは、聖なる剣を意味し、中央祠堂を囲むように3重の周壁があり、更にその内側に回廊があります。しかし、至る所が崩壊していて、保存、修復が待たれます。
【東メボン East Mebon】
 灌漑用に造った大人造湖の中央に島を設け、そこに建立した中央寺院。
 952年、リージェンドラヴァルマン2世が即位後建てた3つの霊廟の1つで、現在、湖の水はないが、当時、王は船に乗ってここまでやって来たという。最上層には、5つの堂塔が立っており、その中央堂塔にはシヴァ神のリンガが安置されています。

     



【バンテアイ・スレイ Banteay Srei】

「女の砦」という意味のこの遺跡は、アンコールワットの北東40kmに
位置する小寺院。中央神殿の祠堂に刻まれたデヴァターの彫像は、世界屈指の
美術作品として、「東洋のモナリザ」とも評されています。身長僅か1m程の小品ですが、
花枝を捧げ持った、その端麗な容姿は、これが噂の「東洋のモナリザ」かと強く魅了されました。

   






ご一緒した皆さんとタ・プロムにて(無断掲載お許しください)



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